2020年05月20日

だから私はそこにいる

みなさまおはようございます。

今日は本当に久しぶりに、高校教師としての話でもさせていただきましょうか。。

さて、現在タイにとどまられている、タイの高校の日本語教育に関わっている日本人って

どのぐらいいらっしゃるのでしょうか。

日本語パートナーズという、日本語教育アシスタント制度も廃止されると聞きましたし、

入国制限もしばらく続くことなどから、

高校で働く日本人先生というのは、相当減るのではないかと思っています。

そんな状況の中、改めて

今働いている高校において、日本人である僕の意味ってなんなのかな?と考えてみたわけです。

日本語を教えるという意味では、

今ではyoutubeやオンライン学習がいくらでも可能であり、

やる気さえあれば、いくらでも、ネイティブの発音に触れられるわけですし、

文法や読解なんてものは、それこそ、日本語の上手なタイ人先生から教えてもらった方が、よほど理解が早く進むのでは?と思ってしまうんですよね。

日本での英語学習も、日本人が英語学習においてつまずきやすい点を理解している、

英語の得意な日本人から学ぶ方が、効率が良いという意見も今や多いようで、

わたしにとってもその意見は腑に落ちるものです。

こんなことを言うと、

いやいや、高校で教えるのは、日本語だけでないですよ〜。異文化交流も大切ですし〜。

なんて声が聞こえてきそうですが、

折り紙の折り方、浴衣の着方、日本料理の作り方、その他日本に関する知識なんて、

ネットで検索すれば、一目瞭然。僕の出番なんてないわけです。

タイでよく行われる「日本クイズ」の問題を見ていると

もし僕が参戦しても、予選で早々に敗退することが確実なぐらい、

日本好きのタイ人の知識の方が、僕よりずっとすごいわけですし。

まあ、スピーチコンテストを代表とする各種コンテストでは、

日本人の手助けが必要となることは確かですし、

その点においては、学校の名声をあげることにある程度貢献してきた自負はありますが、

年に数回しか開催されないコンテストのためだけなら、

外注の方がよくないかい?とも思うわけなんですよ(実際そうしている学校もあるようですし)。

と、ここまで「僕なんて学校に必要がない」的なことを書いてきてあれなんですが、

実は、僕が今の学校にいるわけについては、自分の中で折り合いがついているんですね。

それは、生徒のためでも学校のためでもなく、自分のためにいさせてもらってるということ。

そこにいることが、自分にとって当たり前という、居心地の良さがあるんですよ。

なので日本語教師云々や、学校にとって自分が価値があるかなんてことは、

もうすでに僕がこの学校にいる意味からは抜け落ちているわけです。

授業に対して意気込みすぎることも、手を抜きすぎることもなく、

学校に対して求めすぎることも、失望しすぎることもなく、

仕事ができているのもそのせいかもしれません。

今では、「昔っからそこにいるちょっと変わった日本人」という地位を得られたおかげか

コロナでバタつく中でも、学校は13年目も相変わらず僕を雇い続けてくれるとのことです。

タイのバンコクの高校の職員室に、自分の名前が貼ってある机があること。

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今年は、その幸せが例年より身にしみて感じられるのであります。


今週の「よってらっしゃい見てらっしゃい」↓↓↓

 

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berialshunnya at 09:00│Comments(0)バンコク | 日本語教師

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